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study: バルカンソブラニー ( Balkan Sobranie )

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 パイプたばこのブレンドに「バルカン」タイプというのがある。TobaccoReviews.comのブレンド一覧で調べると、現行パイプたばこで「バルカン」を名のるのがなんと19種もあった。
 博識のG.L.ピースによると、バルカンブレンドといい出されたのは1990年代から、火元は当時の銘品、バルカンソブラニーのおかげだという。いまは市場から姿を消したバルカンソブラニーはかくも名声を博し、その味を忘れかねたファンのために各社がバルカンブレンドを発売することになった。残念ながらぼくは未体験だが、現行バルカンブレンドからその銘品ぶりを知りたくなり、とりあえずその前にバルカンソブラニーについて調べてみた。
 バルカンソブラニー(Balkan Sobranie)はRedstone一族が経営するSobranie House社の製品で20世紀のいつ頃か不明だがロンドンに登場した。Redstone一族はロシアのユダヤ人で一時期バルカン半島に移住し、たぶんここでこの銘品が誕生、のちにイギリスに移住して事業を拡大したのだろう。葉組はバージニア葉とラタキア葉にマケドニア産のトルコ葉を入念にミックスしたものといわれる。しかしこのブレンドは1968年7月、イギリス最大手のギャラハー社に買収され、同社はこの複雑なミクスチャーではとても採算がとれないので製造工程を簡略化し、70年代、80年代と売りつづけるが1995年、製造を断念した。
 バルカンソブラニーをアメリカに輸入していたのはJames Russell社だが、製造中止を知らされたRedstone一族のIsasore Redstoneは同社を口説き、再発売を試みるが"ソブラニー"の商標権はギャラハー社が所有するので使えず、かわりに「バルカンサシエニ(Balkan Sasieni)」の新命名で発売する。しかし肝心のオリエント葉の調達が難問でオリジナルの味わいとはほど遠いものだった。さらに数年後、バルカンサシエニはデンマークのオーリック社に買収され、現在はオーリック傘下のヴィレガー・ストーカビー社の扱い商品としてアメリカ市場に出ている。またギャラハー社が製造を断念した1990年代以降、さきにG.L.ピースが指摘したように各社がバルカンブレンドを世に送り出すことになった。
 バルカンソブラニーの葉組は、このたばこのキーポイントがトルコ葉で、バルカン半島南部から小アジアにかけて産出されるものである。このたばこの名称はまさにバルカン半島の地名からきているし「ソブラニー」は現地語で議会を意味するそうだから、マ、「バルカン議会」というところか。またラタキアはもちろんシリア産でいまのキプロス産と違いタールの臭いが強いのにこのたばこにはそのタール臭さが少なく、メローな味わいだったそうだ。
 ラタキアの「タール臭い(tarry)」という形容詞はぼくは初めて知ったがなるほどと頷けた。マレイ社製の昔のダンヒル965がまさしく「タール臭い」たばこでいまのオーリック製にはほとんど感じない(着火した直後にわずかに匂うことはあるが)。ぼくはこれまで堆肥の臭いと書いてきたがこれは「タール臭い」+熟成臭がわかりやすい表記かとも思う。
 さらに詳しくこのたばこの葉組を書いた記事を引用しておく。
「バルカンたばこの香りはトルコ葉による。トルコ葉はバルカン半島南部と小アジアで産出され、良品はギリシャ、マケドニア、トルコのヨーロッパ側、イズミル(旧スミルナ)のものである。さらにほかに黒海沿岸部、クリミア、シリア、以前はエジプトでも栽培された。トルコ葉という名の由来は現在のトルコでなく昔のオスマントルコ帝国の支配地をさすものである。
 バルカンソブラニーの葉組はマケドニア産の"Yenidje tobacco"を芯にしている。マケドニアはかってオスマントルコ帝国に領有されていた。"Yenidje tobacco"は現在ギリシャでは"Giannitsa"、マケドニアでは"Yannitsa"と呼ばれているがどちらも海外では手に入らない。代用品はトルコのヨーロッパ側で栽培される葉である」
 参考までにバルカンソブラニーの缶に記載されたこのたばこの説明は下記である。
「この伝統あるミクスチャーはバージニア葉とラタキア葉それにYenidje葉によるソブラニー社のもっとも古いブレンドでマイルドでありながら芳醇な味わいを秘めています。クールスモーキングを約束し長く吸っても飽きることがありません」
 では現行の「バルカン」ブレンドでバルカンソブラニーに近いものは何かというと、これはもう百花斉放、人さまざまだが、バルカンサシエニはどうやら失敗作らしく評価は低い。信頼できるレビュアーの記事を読むと、やはりサミュエル・ガーウィズ社のバルカンフレーク、ガーウィズ・ホガース社の「バルカンミクスチャー」あたりらしい。しかしSG社のバルカンフレークにはトルコ葉は含まれないようである。なのになぜ類似するのか。
 このあたり葉組だけではない別の要素もあるようだ。この2種は手に入り安いので試してみようと思う。

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by jinsenspipes | 2011-07-01 21:23 | Comments(10)

パイプタバコの製造 -4

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 19世紀になると嗅ぎタバコ熱は去り、つぎに葉巻が流行するが、手巻きで作る葉巻は高価な贅沢品でむしろこの時代はパイプ喫煙の再流行期になった。

 前世紀までのパイプタバコはプラグあるいはロープタバコである。イギリスのタバコ会社は新大陸から樽詰めできたタバコ葉を加熱圧縮してケーキ状にし、大きめに裁断した「バー」、あるいはこれを撚った「ロープ」タバコとして販売店に収めた。これは今日でいうバルク販売で、タバコ店の店頭では顧客の好みの分量にカットして売られた。当時のパイプ喫煙者はこのプラグやロープタバコにそれを刻むナイフ、また着火用に火打石と火口や付け木を必需品としたからずいぶん手間がかかった。

 19世紀に様子は一変する。マッチが発明され、着火は楽になった。カッター機の改良でケーキを細かく裁断し、刻みタバコを作ることが可能となった。そもそもパイプタバコがイギリスに普及した17世紀には樽詰めのタバコはナタで刻まれ、シャグと名づけた刻みタバコを計量して販売していた。しかし18世紀には上に書いたようにケーキ状のブレスタバコが一般的になっていたから新製品の刻みタバコは歴史を逆戻りしたことになる。

 刻みタバコの登場はタバコのパッケージ販売をうながした。刻みタバコはバルク販売でなく少量を缶に入れて売られた。さらにこの頃になるとタバコ葉のバラエティがふえた。これまでのタバコ葉はすべてバージニア葉で、ただ産地がバージニア、メリーランド、ケンタッキーあるいはブラジルなど異なるだけだったが19世紀になると新種のバーレー葉(とくにホワイトバーレー種)、オリエント葉、ラタキア葉、ペリク葉などが輸入された。そして「ミクスチャー」があらわれる。異なるタバコ葉をミックスして味わいをますミクスチャーはそれまでは喫煙者が自分で調合したが、会社がこれに目をつけ、異種のタバコ葉をまぜて加熱圧縮したケーキを作り、これをカットして会社独自のミクスチャーとしてパッケージ販売し始めた。
 さいごにDutch & Daneタバコの普及がある。ヨーロッパのタバコ産業界にDutch & Dane(オランダとデンマーク)タバコが急速に普及した。これはキャベンディッシュタバコと新種のホワイトバーレー種の登場に関連する。イギリスタバコはバージニア種のみの無添加プレスタバコで、じつはイギリスは法律でタバコ製造の際に水以外の添加物を厳禁していた。キャベンディッシュはプレスタバコと同様にタバコ葉を加熱圧縮して作るが、Dutch & Daneはそのときふんだんに添加物を加え、甘みや香りをました。また新種のホワイトバーレー種を多様したがこれは添加物によくなじむ品種だった。Dutch & Daneキャベンディッシュタバコはマイルドでエキゾチックな香りづけでパイプ喫煙者に歓迎された。

 ざっとこんなところだが、詳しい製造の現場はまた次回に。

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by jinsenspipes | 2010-06-22 16:28 | Comments(0)

パイプタバコの製造 -3

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 18世紀はヨーロッパ全土に嗅ぎタバコ(snuff)がひろまる世紀だった。嗅ぎタバコはすでにスペイン、フランスでは普及していたが18世紀にイギリスに及び、まず貴族社会で流行、のちにはロンドンの路上でも見られた。タバコ製造会社の最古参、イギリスのサミュエル・ガーウィズ社は1792年、アメリカ最古参のロリラード社は1760年、いずれも嗅ぎタバコ製造で創業しているから当時はこれが有望株とみられたのだろう。パイプ喫煙はクレイパイプが壊れやすいうえに着火がたいへん。マッチはまだないから喫煙者は付け木で暖炉の火を移すか、火打石を打って火花を火口(ほくち。日本でホクチダケと呼ぶキノコを綿状にほぐしたもの)に移して火種とした。それに比べると嗅ぎタバコは火を使わず、優雅である。

 サミュエル・ガーウィズ社の社史によると1792年の創業時、先代の創始者はグラスゴーでスナッフ製造を学び、1750年頃作られたスナッフ用ミル(粉砕器)を所在地のケンダルに運搬したとある。グラスゴーはイギリス北部スコットランド最大の港で、アメリカ大陸にもっとも近く、アメリカからくるタバコの半分はこの港に陸揚げされた。当然タバコ産業の中心地となるが、ケンダルはその南にあってロンドンへの陸路の中間点にあたる。当時のスナッフ・フィーバーはそうとうなものだったと想像される。

 もちろんパイプ喫煙がすたれたわけではなく、製造業者はブラグを作っていたがこれは別の用途もあった。噛みタバコ(chewing)である。噛みタバコはすでに1660年頃イギリスに見られたとされるが18世紀に広く普及した。タバコは貴族や上流階級の嗜好品になっていたが最大の消費者は船乗りや軍人さらに産業革命で急速に増大する炭坑夫だった。彼らはなによりもニコチンの補給つまり過激な肉体労働の合間に神経をリラックスさせる必要があった。火を使うパイプは木造帆船の船乗りや火薬を扱う軍人には禁止されたし、炭坑夫も坑内では火は使えない。噛みタバコがもっとも有効だった。
 イギリスのタバコ会社のプラグは船乗り、軍人、炭坑夫のズボンのポケットに収まり、端を欠いて噛みタバコとした。またこれはナイフで削げばパイプにも使える。同種のものにツイスト(ロープ)タバコがあるがこれもおなじである。ツイストタバコは別名ハットバンドともいい、タバコのかたまりを帽子のハットバンドに挟んで持ち歩いた。

 古いジョークがある。
「イギリスのタバコに無駄はない。炭坑夫はプラグやツイストを坑内では噛みタバコ、それを乾かして自宅やパプではパイプで吸い、灰は砕いて嗅ぎタバコとする!」もちろんこれは冗談。

 おなじ頃、アメリカを見ると、タバコ喫煙者はごく少数、産業もなかった。タバコ葉はヨーロッパに輸出する作物で、消費物ではなかった。タバコ葉の栽培農家はその一部を自家用にし、近隣にわけたりしたが、用途は噛みタバコで、自家用タバコは砂糖水などに漬けて味付けし、そのまま噛むか、あるいは樹木に穴をあけて葉を押しこめてプラグ状にした。パイプ(クレイ)は高価なヨーロッパからの輸入品(それも粗悪品)だったし、手軽なコーンパイプの発明はつぎの世紀になる。この時代に嗅ぎタバコ製造を始めたロリラード社(のちに「Kent」を世にだす)はニューヨークに達ち、少数の上流階級が顧客だったと想像する。

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by jinsenspipes | 2010-05-30 11:42 | Comments(0)

パイプタバコの製造 -2

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 イギリスにタバコ喫煙が始まるのは1560年頃、船乗りが伝えたが、1580年頃には広く社会に浸透した。当時のタバコはスペインから輸入され、これは30センチほどの長さのローブタバコ、砂糖、ラム、モラレスなどでたっぷり味つけされたうえに色づけもされていたという。その後1607年にバージニアに植民、タバコ栽培に成功し、初めての"バージニア葉"がロンドンにつくのは1614年だがこちらは乾燥した葉を樽詰めにしていた。以後ロンドン子はスペイン物に見切りをつけ、バージニア葉の流行となる。

 17世紀。イギリスでタバコ産業がまたたくまに成長する。パイプ製造とパイプタバコ製造である。パイプ(当時はクレイパイプ)は前世紀までは手作りだが17世紀には型どりで量産された。1619年のロンドンには62軒のパイプ製造会社があり、パイプタバコを扱う店は7000軒を数えたと記録される。

 樽詰めのバージニア葉は初めは喫煙者が自分で刻んでパイプに詰めた。しかしまもなく販売業者が手をくわえた。パイプ用に裁断した葉はルーズカットと呼ばれ、葉脈は砕かれて嗅ぎタバコに、また一部は加熱圧縮してケーキ状にし、あるいはこれを撚ってロープタバコとした。ルーズカットのパイプタバコを入れるために喫煙者はタバコボックスを必需品とし、これは主にオランダ製で真鍮や銀で精緻な細工を凝らした。

 しかしやがてイギリスタバコの伝統製法となるのはバージニア葉を加熱圧縮してケーキ状にしたものだった。葉を裁断しただけのルーズカットと違い、バージニア葉は加熱圧縮することで味と風味がますし、ケーキ状なら保存・輸送にも適した。ケーキタバコは手頃な大きさにカットしてプラグと名づけて販売した。しかし大きなプラグはバーとも呼ばれ、これはタバコ店の店頭で顧客の好みの大きさに裁断して売り、そのためにプラグカッターという裁断機があった。
 イングリッシュケーキと呼ばれるこのイギリス伝統製法はバージニア葉の味と風味をますために加熱圧縮したものだが類似の製法にキャベンディッシュというのがある。たぶんかなりあとに普及し、オランダやデンマークが発祥地と思われるが、キャベンディッシュという名称は考案者のイギリス人、トーマス・キャベンディッシュ卿(1560-1592)の名にちなむとされる。1585年、リチャード・グレンヴィル卿のバージニア探検のときに彼は船長で、その帰路、タバコ葉を樽詰めする際、砂糖水に漬けたところこのタバコが旨いと評判になったという逸話が残る。しかしこの逸話はマユツバで、この航海の頃はまだバージニアにタバコが栽培されない探検時代だし、バージニア植民地からタバコ葉が船積みされる1614年には彼は世を去っている。百歩譲ってバージニア以外の寄港地でタバコ葉を樽詰めにしたとしてもすでにこの頃はスペイン人がタバコ葉を砂糖やラム酒に漬けて樽詰めしていた。これはぼくの想像だが、例によってイギリス人の貴族気質が我国の貴人の考案といわせたのではないかと、ちょっと微笑ましくなる。

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by jinsenspipes | 2010-05-25 21:30 | Comments(0)

パイプタバコの製造 -1

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 日頃たのしんでいるパイプタバコはどう作られるのか。
 ネットには厖大な情報があふれていてありがたい。お勉強したことをまとめてみた。

 1492年、コロンブスが北アメリカに達し、先住民の吸うタバコをヨーロッパに持ち帰った。

 先住民のタバコ喫煙法はじつにさまざまで、いまのタバコ喫煙のすべてにわたる。ヨーロッパ人はただこれを工業化しただけだ。マ、文明なんてそんなもの。人類10万年の歴史のなかで体験され、熟成された文化が500年ぽっちでは変わりようもない。ヨーロッパ人が見たのは、タバコ葉を噛む(噛みタバコ)、粉にして鼻から吸う(嗅ぎタバコ)、巻いて吸う(葉巻)、道具で吸う(パイプ)、分類すれば4種になる。

 噛みタバコはもっともシンプルでただ葉を噛めばいい。嗅ぎタバコは葉をすりつぶして吸う。数枚の葉をロープ状に撚ると保存に適した。細く撚ればいまの葉巻になるし、太く撚り、吸うときに端を刻めば噛みタバコにもまたパイプに詰めてもいい。現在のロープタバコあるいはツイストタバコである。加熱圧縮するプラグタバコの原型もある。大きな丸太の幹に穴をあけ、タバコ葉を押しこむ。上からきっちり栓をして数ヶ月おき、丸太を割ると固形物になっていて樹液が沁みて味わいもよい。この固形物は端を欠いて噛みタバコ、細かく刻んでパイプタバコになる。
 ヨーロッパ人はこの未知の文化を持ち帰り、自国に伝えた。スペインがもっとも早く、すでに1525年にスペインの船乗りがクレイパイプで喫煙した記録もあり、1530年にはスペインの下層階級に葉巻喫煙がみられたとされる。16世紀を通じてスペイン・ポルトガルの船乗りに喫煙の習慣がひろまり、ヨーロッパ全土に伝播した。イギリスには船乗りにより1560年頃紹介された。

 16世紀のヨーロッパでスペイン、ポルトガル、フランスなどラテン語圏には葉巻喫煙が広まったがイギリスはパイプ喫煙を好んだ。アメリカ大陸で育ったタバコ葉は樽に詰め、帆船でスペインに運び、ここからヨーロッパ各国に輸出される。イギリスも最初このスペイン物に頼っていたがのちに北米のバージニアに植民、タバコ栽培に成功し、1614年に初めての作物が到着してからは自国製に切り替える。翌年の1615年、ロンドンにはタバコ葉を売る店が7000軒あったというからタバコ喫煙文化の広がりは急速だった。

 17世紀はヨーロッパ全土がパイプをくゆらせる世紀となる。
 当然パイプタバコの製造が産業となるが、それは次回に。

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by jinsenspipes | 2010-05-07 22:14 | Comments(6)