Jinsen's パイプ

タグ:読み物 ( 5 ) タグの人気記事

読み物: マッチ

a0150949_236122.jpg
 パイプの火付け道具については、マッチ派、ライター派、わかれるが、ぼくはマッチ派。これがぼくの火付け道具である。もう何十年もこれを使っている。
 写真の左上がマッチの大箱、その下が携帯用のアルミ製の小箱、大箱の多量のマッチを小箱に移して使う。
 このアルミのマッチ箱は黄燐マッチを入れて売っている、黄燐マッチは、ラベルに書いてあるが、どこで摺っても火がつくマッチで摺り板(ストライカー)はいらない。西部劇映画などでこのマッチを酒場の柱や長靴、ズボンの尻などでチャッと摺って点火するシーンがよく見られる。黄燐は毒性があるのでいまは硫化燐マッチらしいが、日本では製造禁止で、これは輸入品である。ただパイプたばこを置いてあるたばこ屋ならどこでも買える。入れてある黄燐マッチを使いきったら大箱のふつうのマッチを詰める。アルミ製なので耐久性があって長持ちする。
 ふつうのマッチだと当然摺り板が必要で、写真の右上がその摺り板である。じつはこれはマッチの大箱に貼付けてある摺り板を切り取ったものである。使いきった大箱をバラし、4面にある摺り板だけ切り取る。これを写真の左下にあるほどの大きさに切り取り、1枚をアルミの小箱にマッチ軸とともに収める。写真の右下がタンパーで、これもアルミ製の安物だがぼくには一番使いやすい。
 いまの若いかたはほとんどライター派のようだが、マッチでもライターでも優劣はない。ぼくはマッチが使い慣れているだけのことである。だいぶ昔、ロンソンのパイプ用ライターがカッコいいので買ったことがあったが結局マッチに戻ってしまった。
 識者にいわせると、ライターは一度にドッとたばこ全面に着火することができ、片燃えが防げていいそうだ。たしかにマッチで着火するとドッと全面というわけにはいかない。マッチの火を近づけるとごく一部にしか火がつかないので、ここに着火し、つぎにその隣りというぐあいにマッチの火をちょんちょんと動かす。けれど、この火がついたごく一部、そこがポッと赤くなり、つぎにたちまち白い灰になる瞬間にすばらしい味がくる。とくに朝一番のバージニアたばこは新鮮で一本のマッチが燃えつきるまで、ちょんちょんと着火しつづけるときがたまらない。
 マッチの着火は二度つけるのが常識になっている。最初の着火はcharring(炭化)またはfalse(偽)着火といい、たばこの表面を炭にしてしまうためである。そしてタンパーでならしてたいらにし、細かい炭状になったところに二度めのマッチの火をかざすとこんどは一挙に、ドッと全面に火がつく。これがfalseではない本物の着火である。ごくゆっくり吸うとたばこの表面全体がポッと赤くなり、片燃えせず、下に燃えひろがっていく。
 これは一般的な着火法だが、ロングスモーキングの競技のときなどはこれではいけないらしい。
 渡辺純夫さんという、ロングスモーキングの大家がこう書いている(この記事は柘パイプのサイトに掲載されています。とても参考になるのでぜひご覧ください)。

「マッチの火を広く全体につけ吸いつづければ安定はしますがたばこの消耗も早く、長くても70〜80分くらいで吸いきるだろうと思います。一点着火といい、マッチの頭くらいの火を理想としますが、この火種をつぎつぎ転がすのは至難のわざで、成功率は非常に低いようです。
 一般的にはたばこ表面の1/3から1/2、理想的には1/4くらいに火をつけるとよいでしょう。火は吸い口に近いほどたばこの燃焼を早くしますので、着火は吸い口に離れているボウルの前方にします。ただし片燃えになる恐れがありますので注意してください。」

 なるほどそうなのかと思う。昔から火種の大きさは小豆(あずき)ほどに止めるのがいいといわれていて、これはボウボウ燃やして過燃焼させる戒めでもあると思われる。ぼくはロングスモーキングに興味はないが、火種は大きくせず、消えかかった頃にゆるく吸い、火種のあたりがあたたまるていどで吸ったときにいい味がくるようである。

[PR]
by jinsenspipes | 2015-03-14 23:09 | Comments(9)

読み物: シャーロック・ホームズ『四つの署名』

a0150949_10484247.jpg
 このブログにコメントをくださるくつしたさんはたのしい文章を書かれる。発想もトンでいるけどその内容がパイプを愛好者の心を遊ばせてくれる。たびたびこれを読むうちに、ぼくも日頃の堅苦しいたばこレビューでなく、夜更けのパイプ愛好家の心をなごませる気楽な雑感を書いてみたくなった。

 このところぼくはYouTubeにあるBBCテレビ放映のシャーロック・ホームズ映画をよく見る。『四つの署名』はおそらく一番有名な作品と思うが、そのなかの一シーンがとくに印象にのこった。

 若い女性の依頼人に伴い、ホームズとワトソンがある屋敷を訪ねる。大金持の息子で部屋中をインド風の調度で飾り、まるで博物館のよう。主人は小柄な肥満体の男で、丸顔の頭は両脇だけ髪の毛をのこして禿げあがり、にやにや笑いしているが、内心に激しい感情が渦巻き、落ち着かない様子。
 ドイルの原作ではこうなっている箇所である。

「失礼して私は煙草をやらせていただきます。香りの高い東洋の柔らかい煙草です。すこし気がたっておりますので、こういうときは水煙管で一服やりますと、たいへんおちつきますでな」
 彼は大きな雁首に火をつけて、薔薇水をごぼごぼいわせてうまそうに吸った。
(延原謙訳、岩波版)

 映画では、主人が水キセルを吸い込み、一服やると、そわそわ落ち着かない表情がいっときやわらぎ、ホッとした顔になるのがアップで写された。そのときの主人のしあわせな表情、これが記憶にのこった。トゲトゲした心をたばこの一服がやわらげ、ひとときのしあわせ感につつまれる。ぼくは水キセルはやらないが、およそたばこ喫煙の本領はここにあるのではないか。
 じつはこれを見る前、夕食後、ぼくはSGのスクワドロンリーダーをやっていた。マッチでまず着火すると、火がつくかつかないかのうちにラタキアの優雅な香りが漂う。着火後、しばらくすると、こんどはオリエントの甘い香りがきた。ラタキアのひと刷毛の風、オリエントの甘い芳香、ボディになっているバージニアのしっかりした味わい。そのハーモニーにうっとりさせられたのだった。
 ぼくはそのとき心に悲痛があったわけではないが、やすらぎは訪れた。もし何か心配事があり、それを逃れてひとときの安静を得たかったらこの一服は顕著な効果があったろう。
 ぼくはそこでさらに東洋的なたばこ、前にやったマクレーランドのイェニジェたばこを思い出した。
 スクワドロンリーダーのようなイングリッシュミクスチャーはバージニアが主体でラタキアもオリエントも付け足しである。オリエントの香りと甘さは非凡だがやはりバージニアに隠れている。しかしマクレーランドのイェニジェたばこはオリエント葉を主にしているので逆にバージニアが付け足しになっている。
 ああ。あのときのあの香り。天国に遊ぶ気分だった。なんとしあわせな香りだったことか。それを思い出すとこの主人の気持ちが一層理解できた。
 東洋のたばこは香りを重視し、それにつつまれて一種の現実逃避、いっときの夢見ごこちを理想としてきたように思う。しかしイギリスたばこは味わいに重点をおき、ラタキア、オリエント、ペリクを付加したりあるいは自然熟成、熱処理などによって味を濃厚にしてきた。東洋のたばこはもっぱら香りに耽溺し、イギリスたばこはバージニア葉の深い味わいをたのしむ。このあたり民族性の違いなのだろうか。しかしそういうイギリスたばこであっても味わいにくわえて香りに酔い、ひととき憂さをわすれる効果があることはまちがいない。
 パイプ喫煙者はよくご存知だが、おいしいたばこを吸いたければ、日常のリズムから離れることである。日常のリズムの延長では最良の味は味わえない。喧噪の現実にしばし背を向け、外界を遮断し、たばこ葉が燃焼する、その植物のリズムに合わせることが大切だ。

 ところでYouTubeで見ていると、ここのところの英語字幕はこうなっていた。(ぼくは英語字幕つきで見ている。YouTubeはふつう字幕無しだが、字幕のボタンがあり、クリックすると字幕つきになる。便利なモンだ)

「Well, then, I trust that you have no objection to tobacco-smoke, to the balsamic odour of the Eastern tobacco. I am a little nervous, and I find my hookah an invaluable sedative.」

 ドイルの原文はどうだったか、調べてみたら、何と! この部分は原文そのままだった。
 上の延原謙の名訳はそれを翻訳したものである。

[PR]
by jinsenspipes | 2014-09-21 10:54 | Comments(28)

読み物: シャーロック・ホームズのパイプ 3

a0150949_21583885.jpg
 ホームズ愛用のたばこは何だったか。
 はっきり記述があるのはシャグたばこ(shag)である。

◯バスカヴィル家の犬
「『ワトソン君、出かけるのかい?』
 『用があるなら出かけなくてもいいよ』
 『いや、君の手をかりるのは、いよいよ仕事にかかってからさ。しかしこんどのはすばらしい。ある点からいえば、まったく特異な事件だよ。ブラッドリの店のまえを通ったら、いちばん強いシャグ煙草を1ポンド届けさせてくれないか。たのむ』」

◯ 唇の捩じれた男[冒険]
「この日も彼が徹夜の用意をしているのが、私にはすぐ分かった。彼は上衣とチョッキを脱ぎ、そのうえから大きな紺のガウンを着て、部屋中を物色して寝台からは枕を、ソファと肘掛椅子かにはクッションを集めてきた。そしてこの材料をもって東洋の寝椅子風のものを拵え、そのうえに胡座をかいて膝の前に1オンス入りの強いシャグ煙草とマッチの箱をおいた。愛用のブライアのパイプを口に、ぼんやりと天井の一角を見すえて、鷲のように鋭い緊張した顔を浮きあがらせ紫の煙をたちのぼらせながら無言の行をしている動かぬ姿が、ほのぐらいランプの光のなかに見えていた」

 シャグたばこはリボンカットよりさらに細かく刻んだ葉でそのまま手巻きたばこにも使える。若い頃ぼくがヨーロッパをあちこち旅したときはミュンヘンで買ったスタンウェルのパイプにシャグたばこを持ち歩いた。シャグはクラン、巻き紙はドラム、あちらの学生はシガレットが高くて手がだせず、みなさんこれだった。クランはパイプでも吸えるし、手巻きにしてもいいので便利だった。
 ある識者によると、ホームズの時代のシャグはかなり粗悪品で、たばこ葉のいいところはシガレット用やふつうの刻みパイプ用に使い、いわば余りものを細かく裁断してシャグとしたという。しかしクレイパイプが一般的だった時代はこのパイプのボウルは小さいのでたばこ葉は細かい刻みほど吸いやすかったはずである(いまは逆に標準のパイプだとシャグは燃焼が早すぎて吸いづらい)。かならずしも粗悪品ではなかったと思うのだが、どうだろうか。
 ただおおかたの意見としてホームズはコニサー ( connoisseur、食でいう味にうるさい美食家 )ではなくもっぱらニコチン摂取のためにたばこを吸っていたとされ、これはぼくも同感だ。

 つぎにワトソンのたばこである。
 ワトソンのたばこはホームズ探偵談の第一話「緋色の研究」の冒頭に出てくる。
 一人暮らしで下宿さきを探しているワトソンがおなじ目的でルームメイト物色中のホームズを紹介されるシーンである。二人はここで初めて出会い、このあとしばらくベーカー街221B番地の部屋で起居をともにするのだ。
 この第一話が書かれたのが1886年なので時代設定はそれ以前のことと推定できる。
(余談だが、ぼくの持ってるホームズ本は1955年頃出版のものなので、この番地、ベーカー街221Bがベーカー街221乙になっている。ハハハ。昔の翻訳者は何がなんでも日本語に訳そうとして、ABCの「B」を甲乙丙の「乙」にしたんだナ)

◯ 緋色の研究
「『僕の眼をつけている部屋というのはベーカー街ですがね。部屋としては申し分ない手ごろさなんだ。君、強い煙草の匂いはべつに気にならないでしょうな?』
 『私は自分でもふだんシップス(ships)を愛用しているくらいです』」
◯ 背の曲がった男[思い出]
「『やあ、ワトソン君、まだいいんだろうね?』
 『君だったのか。まあはいりたまえ』
 『はは。びっくりしているね。無理もない。それに患者じゃなくてほっとしたろう。ふむ。相かわらず(独身時代の)アルカディア・ミクスチャーを愛用しているね。服についているその綿みたいな灰ですぐわかるよ』」

 この引用は少しぼくが手を加えた。新潮社文庫版の訳文は「独身時代の」がぬけていて「相かわらずアルカディア・タバコを愛用しているね」になっている。原文は「You still smoke the Arcadia mixture of your bachelor days, then! 」なので上のように手を加えてみた。
 シップスを吸っていたワトソンがアルカディア・ミクスチャーに転向する。ムムム、それはいつからなんだ! シャーロッキアン達が目の色変えて探偵する。
 ホームズとワトソンの出会いが1886年もしくはそれ以前なのは前に書いた。二人はしばらくベーカー街221B番地に下宿するが、つぎに第二作「四つの署名」に書かれた事件でワトソンは依頼人のモースタン嬢と婚約する。新潮社文庫版の訳者、延原謙のあとがきによると結婚は1887年10月1日頃とされる(ここまで推測した訳者も相当なシャーロッキアンだネ)。このあとワトソンはホームズとの下宿さきを出て愛妻とともに医者を開業するだが、突然その家を夜更けにホームズが訪ねたときの話が引用した「背の曲がった男」事件である。冒頭に「私の結婚後、二、三ヶ月たったある夏の夜」とある。
 シャーロッキアン達はこう探偵した。
 軍医としてインドに駐在していたワトソンが帰郷し、ロンドンでホームズとともに暮らす頃は船員が吸う安たばこ、シップスを愛用していた。しかし「四つの署名」事件でモースタン嬢と婚約してからはまさか紳士が安たばこでは恥ずかしい。そこで人並みにアルカディア・ミクスチャーに転向した。もっぱらモースタン嬢との新婚生活を思んばかってのことである、つまりこのたばこを常喫したのは婚約成立後、結婚まで、ホームズと同居した独身時代である、と。
 いやはや。オタクというのはすばらしいものである。

 シップスは当時船員が吸っていたロープたばこだろうと想定されている。つまりNavy Cutの初期のものである。Navy Cutという名称は、文字通り船員用のたばこで、昔はロープたばこだった。Three NunsやEscudoのようにロープを輪切りにしたたばこはもともとのNavy Cutの名残りである。のちにプレス技術が発達し、ケーキたばこやプラグたばこができ、さらにそれをスライスしたフレークたばこが登場してからはNavy Cutはフレークたばこを指すことになる。フレークたばこはそもそも船員用だったのだ。
 ワトソンはイギリス海軍の軍医だったが、イギリス海軍は船員(軍医も)が吸うたばこは航海中は税抜きで提供した。もちろん安たばこだしニコチンも相当きつかった。シップス(Ships)という名に類似するたばこがオランダ製で当時あったという説もあるが、船員たばこを類推させるためにコナン・ドイルが創作した名称という見方が一般的である。
 いっぽうアルカディア・ミクスチャーは実際にあったらしい。ある説によると、カレラス社がこの名のたばこを販売していたそうだ。カレラス社はロンドンに本拠をおくスペイン系の大手たばこ会社で、のちにダンヒルたばこを買収し独占販売する。このアルカディア・ミクスチャーはかなり高価な高級たばこだったようでだから、マ、可愛い奥さんのいる若い開業医にふさわしいたばこだったといおうか。

 さて。例によってホームズ、ワトソンご愛用でなく、事件のなかに登場するたばこに興味深いものがあるが、それはまた次回に。

[PR]
by jinsenspipes | 2013-02-24 22:00 | Comments(4)

読み物: シャーロック・ホームズのパイプ 2

a0150949_2218304.jpg
 ホームズのパイプではないが、殺された被害者がもっていたパイプも登場する。
 以下は被害者の持ち物リストの一覧。

◯ 白銀号事件[思い出]
「ろうマッチが1個、2インチほどの獣脂ろうそくが1本、A.D.P印のブライアのパイプに長刻みの(long-cut)キャベンディッシュたばこを半オンスばかり詰めた海豹皮のポーチ、金鎖のついた銀時計、金貨で5ソヴリン、アルミニウムの鉛筆ケース、書付が2つ3つ、『ロンドン、ワイス会社製』と刻印のついた非常に細くて鋭い、それでいて曲りにくい刃をもつ象牙の柄のナイフが1つ」

 ろうマッチはいまのマッチ(安全マッチ)の前に作られた硫化燐マッチである。いまのマッチはマッチ箱の側面に貼られたストライカー(擦り板)にこすりつけないと発火しない。しかしろうマッチはどこで擦っても火がつくので我国では作られていない(輸入品で売っているが)。獣脂ろうそくはいまのろうそくと違い動物の脂分から作られたもの。マッチはもちろんだがろうそくもパイプ喫煙用じゃなかったかとぼくは思う。つまりろうそくにマッチで火をつけ、パイプを着火したのだろう。
 この持ち物リストを見てホームズはさいごの象牙のナイフに注目する。そしてワトソン博士が「これは医者のほうで白内障メスというやつだ」と看破し、事件解決の糸口となる。つまりこのリストで象牙のナイフ以外は当時の紳士のポケットにありがちなものだと見過ごされることを著者は意図している。マッチ、ろうそく、パイプ、たばこポーチ、いずれも必需品だったのだ。
 さて「このA.D.P印のブライアのパイプ」である(原文は、A D P brier-root pipe)。この「A.D.P」が何の略称か、シャーロッキアン達が目の色かえて詮索してきたが、まだ当たりはないようである。パイプ好きがすぐ思いつくのは「アルフレッド・ダンヒル・パイプ」であるが、残念でした、ダンヒルがパイプを作りだすのは1910年のこと、この小説の発表は1892年だから無理である。おおかたの推測は当時ロンドンに無数にあったパイプ製造会社もしくはパイプショップだろうということになっているが、どなたか探し当てたらたいへんな発見になることうけあいである。

 もう一つ、こちらは留守中にホームズを訪ねた依頼人が置き忘れたパイプである。

◯ 黄色い顔[思い出]
「おや! あのテーブルのうえのはワトソン君のパイプじゃないね? 客が忘れてったんだ。古いブライアに通常たばこ屋で琥珀と称しているまがいものの長い吸い口がついている。いったい本物の琥珀の吸い口といったら非常に珍しいもので、このロンドンにだって本物を持ってる人は幾人もあるまい。なかにハエのはいっているのは本物だと思いこんでいる人もあるが、偽物の琥珀のなかに偽物のハエを入れることがりっぱに職業として存立する世のなかだからね」

 なるほど当時はそうだったのか。貴重な時代証言である。ところでホームズも琥珀の吸い口のブライア・パイプを持っていることは前回紹介した。ホームズの琥珀の吸い口は本物だったか、偽物だったか、想像するとおもしろい。
 さて。この置き忘れたパイプからホームズ流の人物推定がはじまる。

◯ 黄色い顔[思い出]つづき
「パイプというものは、時々きわめて面白いことを教えてくれる。懐中時計とくつひもとを除けば、おそらくこれほど個性を現わすものはあるまい。もっとも今の場合は、そう大して重要な特徴も現れてはいないが、それでもこのパイプの持主が筋骨たくましい男で、左ききで、歯なみが丈夫で、ものごとに無頓着な性癖があり、経済上の苦労のない男だくらいのことはわかる」

 なんと!
 ここからえんえんと謎解きがはじまるが、はしょって紹介すると、
「吸い口を強く歯で噛んである=筋骨たくましい男、歯なみが丈夫」
「パイプの片側が焦げているのはランプやガスの火で着火している証拠。しかも右側が焦げている=左きき」
「パイプとともに置き忘れられたたばこは1オンスが8ペンスもする高価なもの=経済上の苦労のない男」
「ものごとに無頓着な性癖」についてはとくに記述はないが、パイプを焦がしたり、置き忘れたりすることから類推できることなのだろう。
 ワトソン博士相手にこの謎解きをしているところにパイプの持主があらわれる。ホームズの推理通り、背の高い、がっしりした30歳くらいの青年だった。
 さらにこういう一節がある。「このパイプは新しく買ってまず7シリング6ペンスというところだろうが、見たまえこの通り二度修繕してある(中略)これは二度とも、新しくパイプを買いなおすよりも高い修繕料をとられたに違いない」。また、この青年がパイプとともに残したたばこは1オンスが8ペンスもする高価なものとなっていて、このたばこについてはのちほど紹介するが、目が止まったのはパイプとたばこの値段である。
 ある記録によると、当時の貨幣価値は1ポンドがおよそ現在の3万8000円くらいだそうである。すると7シリング6ペンスのパイプはおよそ1万4000円になる。たばこのほうは1オンス約1300円。なるほど、パイプはまあまあの値段。たばこはいまの2オンス缶がイギリスで買うと10ポンド(1500円)くらい。昔は税金も安かっただろうから1オンス1300円はかなり高いたばこということになりそうだ。
 さいごにパイプの着火にランプやガスの火が使われたという記述を補足しておきたい。イギリスのヴィクトリア朝期はすでにマッチが普及していたが、しかしそれ以前の習慣からランプの火にパイプを近づけて着火する人も多かった。また、当時ロンドンにはガスが供給されていたので、市内に無数にあるたばこショップは店内にガスの火口をつけっぱなしにし、客が勝手にパイプに火をつけられるサービスをしていたというからおもしろい。
 ホームズ探偵談はこういう時代を知るてがかりがあちこちにあるのがうれしい。


[PR]
by jinsenspipes | 2013-02-09 22:21 | Comments(19)

読み物: シャーロック・ホームズのパイプ 1

a0150949_16183494.jpg
 ひさしぶりに、いや、それどころか何十年ぶりかに、本棚で埃まみれになっている文庫本に手をのばした。新潮社版で10冊ある。
 コナン・ドイルのホームズ譚は長編が4話、短編が56話、短編は5冊に収まるが、新潮社版は各短編集から1、2話がこぼれ、それを別に1冊にまとめたので10冊になる。
 気になるかたもいらっしゃると思うので発表年順にまとめてみた。
  緋色の研究     1887年
  四つの署名     1890年
  冒険(短編集)   1892年
  思い出(短編集)  1894年
  バスカヴィル家の犬 1902年
  帰還(短編集)   1905年
  恐怖の谷      1915年
  最後の挨拶(短編集)1917年
  事件簿(短編集)  1927年
(新潮社版はここに落ち穂をまとめた「叡智」がくわわる)
 イギリスがもっとも輝いたころ、ヴィクトリア朝が舞台である。ロンドン市街を馬車が走り、ガス灯がともる。電話や車はまだないから、ホームズはメッセンジャーボーイを使ったり、電報をうつ。指紋捜査は普及してなかったようだ。さすがに後期の作品になると電話が出てきたり蓄音機がでてきたり車がでてきたりするがそれも控えめである。気分はあくまでヴィクトリア朝なのだ。

◯ 高名の依頼人[事件簿]-1925年にストランド誌に掲載
「私はカールトン・クラブにおります。でも急ぎのときは、Xの31というのが私の電話番号ですからどうぞ」
◯ マザリンの宝石[事件簿]-1921年にストランド誌に掲載
(隣室でホームズはヴァイオリンでホフマンの「ベニスの舟歌」を弾いているはずなのに突然悪漢がいる部屋にあらわれる)
「いったいあのヴァイオリンはどうしたというのだ?まだ聞こえている」
「(ホームズはにっこり微笑み)ちかごろ蓄音機というすばらしいものが発明されましたよ」

 ある識者によると、全60話にたばこはまんべんなく登場し、ないのはたった4話という。世界中にシャーロッキアン(熱烈なホームズファン)がいてどんな些細なことも見逃さない。
 ぼくが最初に読んだのは高校生のときだからパイプについては無知だった。訳本に「陶製の古いパイプ」とあるのでてっきり支那のパイプだと思った。有名な「ペルシャ製スリッパをたばこ入れがわりに使っていた」という記述もあるから、支那だのペルシャだの、当時の東洋趣味のなせるわざと思いこんでいた。
 いま原本を調べてみると、「陶製の古いパイプ」は「old clay pipe」で、いまならパイプの知識がふえたのでクレイパイプのことだとわかる。ブライアパイプもでてくるが、当時パイブといえば主流はクレイパイプ、つぎにメシャムパイプでブライアパイプはようやく普及しだした頃である。パイプをくわえたホームズの肖像画は掲載したストランド誌にも、のちに映画のポスターにも画かれ、メシャムパイプやキャラバッシュパイプをくわえたのもあるが、作品には登場しない。

 ホームズはどんなパイプを何本もっていたか。所有するパイプは3種、クレイパイプ、ブライアパイプ、そして長い桜のパイプである。
 このうちクレイパイプはいたるところに登場する。

◯ 花婿失踪事件[冒険]
「そこで私は、依然としてまっ黒になったクレイパイプを燻らしつづけるホームズを椅子のなかに残して帰途についた」
◯ 同上
「やがて脂(やに)のしみた古いクレイパイプをとりあげ、その古いなじみの相談相手に火をうつして、ふかぶかと椅子にかけなおし、濃い紫の煙をもくもくと渦巻かせながら、さももの憂くてたまらぬという顔つきをしていった」

 原本では上の「まっ黒になったクレイパイプ」「black pipe」。下の「脂のしみた古いクレイパイプ」は「old, oily clay pipe」。この両者「old, black or oily clay pipe」はしょっちゅう出てくる。
 ブライアパイプは以下の2カ所にしか登場しない。

◯ 四つの署名
「『ぼくは最近大陸まで手をのばしたよ』しばらくたってから彼はブライアの古いパイプに煙草をつめながらいった」
◯ 唇の捩じれた男[冒険]
「……膝の前に1オンス入りの強いシャグ煙草とマッチの箱をおいた。愛用のブライアのパイプを口に、ぼんやりと天井の一角を見すえて、鷲のように鋭い緊張した顔を浮きあがらせ……」

 長い桜のパイプはたった1カ所である。

◯ ぶな屋敷[冒険]
「ホームズはまっ赤になった燃殻を一つ火箸でつまみあげて、ながい桜のパイプに火をうつした。考えるのをやめて議論でもしようという気持になったとき、いつも彼はクレイパイプをやめてこの桜にするのが例なのである」

 そして材質を明記しないパイプも数多く出てくるのでこれがクレイなのかブライアなのかはわからない。

◯ 恐怖の谷
「……なにかを深く熟考するときというと使う汚らしいパイプに火をつけて……」

 また琥珀の吸い口をつけたパイプも持っていた。これはおそらくブライアパイプだろう。

◯ プライオリ学校[帰還]
「この地図を私の部屋へ持ちこみ、寝台のうえにひろげて、ランプをその中央に工夫して据え、煙草を吸いながら地図を眺めて、煙のでている琥珀のすい口でときどき興味ある地物を指しながら喋った」

 ホームズがパイプを何本もっていたかは不明だが、あきらかに数本のパイプを所有し常用していた。パイプラックを使っていたからである。

◯ 空き屋の冒険[帰還]
「それから図表類、ヴァイオリンのケース、パイプラック、ペルシャのスリッパまでが、そのなかに煙草が入っているのだが、ひと目で見てとれた」
◯ 青い紅玉[冒険]
「ホームズは紫のガウンを着て、ソファにとぐろをまき、パイプラックを右がわの手ぢかな場所に据え、今まで研究していたらしい新聞を、クシャクシャと山のようにそばへ積んでいた」

 ホームズ所有でないパイプにも興味深いものがでてくるが、それはまた次回に。

[PR]
by jinsenspipes | 2013-01-26 16:22 | Comments(24)